1967
長野県木曽郡南木曽町漆畑に生まれる
1986
長野県木曽山林高等学校インテリア科卒業
1988
石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業
生業の木地屋に従事 父 榮一に轆轤を習う
1989
長野県工芸展 県知事賞受賞
1990
平成天皇即位の礼 高御座御帳台製作に参加
日本伝統工芸新作展木竹の部に入選
国画展 国展入選
1992
輪島漆芸技術研修所実習助手として輪島へ
日本伝統工芸新作展漆芸の部に入選
1993
東京目黒区 国宝祐天寺茶湯器の木地制作
日本民芸館展 入選
1996
日本民芸館展 入選
1997
長野県木曽郡南木曽町漆畑に工房を構える
2006
東京六本木 兒嶋画廊にて「小椋正幸木工芸・器展」
松本市中町 蔵シック館にて「木の匠たち展」出展
2007
東京六本木 兒嶋画廊にて「年越しとお正月の食遊器展」
イギリス ROTTINDEAN にて エキシビション
名古屋松坂屋にて「信州の工芸家たち展」出展
2008
長野県飯島町 ギャラリー小蕪亭にて 個展
京都ギャラリーのざわにて「食あってのうつわ展」二人展
松本市中町蔵シック館にて「木の匠たち展」出展
2009
オーストラリア BUNGENDORE にて エキシビション
松本井上百貨店にて 木地屋の系統・親子展
鎌倉吉野邸「食あっての器展」萩焼・植草達郎と二人展
名古屋松坂屋にて「信州の工芸家たち展」出展
2010
銀座三越 ジャパンエディション 「木と漆のうつわ展」
2011
長野県飯島町ギャラリー小蕪亭にて 個展
名古屋松坂屋にて「信州の工芸家たち展」出展
2012
高知 ギャラリー太郎冠者にて 「小椋正幸作品展」
2013
名古屋 canna 家具店にて 「食あってのうつわ展」
鎌倉吉野邸「食あっての器展」萩焼・植草達郎と二人展
2014
長野県飯島町 ギャラリー小蕪亭にて 個展
2015
高知 ギャラリー太郎冠者にて 「小椋正幸作品展」
名古屋 canna 家具店「漆のうつわ展」
2016
飯島町ギャラリー小蕪亭にて「木にたずさわる」二人展
2017
鎌倉吉野邸「食あっての器展」萩焼・植草達郎と二人展
2018
高知 ギャラリー太郎冠者にて 「小椋正幸作品展」
2019
岐阜県可児市 ギャラリー萬葉にて「木と漆のうつわ展」
1997~2010
銀座清月堂にて 木彩会 出展
2016~2019
松本 木彩会 出展
木地師
文献では、平安時代、文徳天皇の第一皇子 惟高親王が祖として書かれている。木地師とは、集落で山々の木を求め、渡り歩きひとつの土地に執着する事のない流浪の民だったのでしょう。何年かに一回、中央から許状をもってくる氏子狩りという独特の制度があり、自由に木を伐ることを許されていました。
今みたいにチェンソーや製材機が無い時代、木地師は使える木を見定め、小さい木などを残し使う量だけ木を伐り終えると、次の場所に移動する。
人間が生きていく速度と、木が育つ速度、先人は自然の恵みに感謝をし「山の神」を祀り、切り株に笹を立て手をあわせたと言う。子供の頃、祖父は朝日に向い、手をあわせていたのが記憶にある。
木曽の地
木地師の発祥の地とされている滋賀県東小椋村(現東近江市)から木を求めて全国の山々を歩き、天竜川をのぼり伊那谷から明治の初め木曽の入っています。
自分、父榮一、祖父友一、榮太郎、文エ門と、木曽の地で自分が5代目ですが、残念ながら、その先代は東近江市まで行って調べたのですがわかりませんでした。
木曽の地に移り、木がなくなる頃に輸送が可能になり、現在にいたっています。
美を求め
先人の知恵や知識、自然へ感謝し、木と共に生き自然と共存する。
自分もそんな生き方がしたい。いつの時代も美しさの追求と用に即したモノを産みだしている。
自然に感謝する心があるから理にかなった仕事をしている。それが手の跡となり自然と人間との融合として形になっている。
人間がより気持良く生きていくために『用の美』をいつまでも求めている人間になりたい。